夜寒の郷便り
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今日は夜寒の郷にようこそおいでくださいましたこのページは 松風堂茶園の日記でございます。また 東海道と郷土の歴史を中心に つれづれにおもったことや 体験したこと 東海道を歩く人達と会話の覚えを記録また発信していきたく思ってます お暇な方はおよみください。
発信人 松風堂茶園 2003・10・21
早いもので半年経ちました
2006/10/31
16時28分16秒
まあなんと 月日が行くのでしょう。 はや 春の茶会から半年がすぎてしまいました。
ここの所 店先の東海道は 陽気も良くなったので 西から東からの旅人が 行き交います。 なにを観るわけでもなく 旅を急ぐ人 のんびり ゆっくりと あっちによりこっちにより 土地人の話を聞きながら旅人たち…。
最近の 旅人で チョット面白い三人組
道中合羽にさんど笠 の二人と 幟を持った 三人組
久しぶりに旅人すがたの 若い衆でした。
聞けば 京からお江戸まで とか…。
東松山市 の 商工会青年部の三人組
「マアせっかくだから お茶でもどうぞ。。ゆっくりしてください」 「どこまでが今日の予定です?」
「藤川まで が僕らの担当」とか…
暫しの 一服で さあ 出発です。 旅人たちと
記念撮影 してしまいました。 気持ちの良い
三人組でした。今度写真を アップしようと思います。
第十四回野点
2006/04/05
14時37分48秒
平成十八年四月一日 春の野点 を 開きました。
当日は 早朝より 準備 会場設営も何回か行っているのでスムーズに と思っていましたが 半年経つと
わすれるんですねー。ブツブツぼやきながら設定をしていると 若いうぐいすが ホーホケ… キョ…。などと幼く鳴いてました。桜もほころびかけ 日陰は少し寒かったのですが マア 良い日になりました。
残念ながら 2日は 朝より雨 早朝より待機すること2時間あまり 降ってはやみ 降ってはやみの繰り返し。決断つけて 観音堂まえに設営 でも
お昼過ぎは 雷を伴った大雨。 午後4時には撤収
春の天気は なかなかにおちつかないのですね。
これで しばらくは野点は無しです。 あ もっとも5月20日。21日には 「石直」さんのイベントで 茶席は設定しますが 今度は 立礼席にしてみます。野点よりもっと気楽かな。 なんて思ってます。
商売的には 今月末には新茶を発売予定です。
今年の新茶は いかがなものに出来てきますでしょうか 楽しみです。 ちなみに 新茶祭は4月26日から予定してます。
夜噺
2005/02/16
11時07分46秒
少し前にテレビで「京都。早春のお奨め」と言う番組を放送していた。北野天満宮の梅園や東山界隈。早春の保津川下り 高台院では夜噺の体験 など結構 寒い中とはいえ見所が多そうです。夜噺といえば2年ほど前に亭主を勤めた事があります。本式の茶事です。寄り付き.待合.蹲.にじり口.床.炉. 軸.炭点前.等など 様々なことを 一度にやってしまいました。もちろん 懐石.酒宴.も…。もちろん 自前で茶室があるわけではありません。懐石料理店のお茶室をお借りして実行したんです。なんといッても茶の醍醐味は夜噺にかぎります。ろうそくの明かり. 短けい.竹けい.小燈.膳燭. 手燭. を
使用した灯りの演出。薄暗がりの中での手燭の交換 から始まり点数はなんと多い事か. 練習とゆう訳ですが 亭主となるとすべてを取り敷きなければなりません。前茶.炭点前 懐石.中立.濃茶.後炭.続薄 延々四時間 茶が始まると休む閑がありません。お客様は懐石でもゆっくりと膳をお召しになるのですが 亭主はそうもまいりません。水屋にて
まさに掻きこむようにして お客様の様子を茶道口より扉越しにうかがいます。
皆さんが酒を召し上がっているのを観はかり 八寸をもちだして 千鳥の杯 亭主もやっと酒を戴くことが出来ます。小生の茶は男が多いのでずいぶんと酒が進むようです。十分に酒食がたりたところで お客様は中立ち その間に席を改め 炉の様子や
湯の沸きようを確かめます。まさに一服している閑はありません。鳴り物で合図をして お客様が席入りします。 今度は茶の真髄の濃茶です。たっぷりと騰った湯を使い 濃茶を練り上げます。そのとき 練られた抹茶の香りが茶席中に広がり皆 茶に気がすい寄せられます。(これが濃茶の醍醐味なんですねー)。先ほどの懐石も酒もこの一碗の茶につきるのです。途中 灯明の燈芯や蝋燭の芯切は気のついたお客がしたりします。後は炭次に続薄 座もうちとけ歓談の席。夜もとっぷりと暮れて 名残をおしみながらお客様は 暇乞い。退席なされます。やれやれやっとおしまいです。お客様ごくろうさまでした。亭主は皆が退席すれば余計に寒さが身にしみます。これが 夜噺のすべてです。冬の一時を楽しむのが夜噺なんですね。皆さんも茶をしてみませんか?
平成十七年正月
2005/01/28
17時05分36秒
本当は1月7日にアップしようとおもっていたのだが、ついつい時間がたってしまった。1月も末ですが今月中に 少しはアップしておかなければ…いけません。節分も近づき もう立春。春はもうすぐやってきますねー。今年の旧正月は二月九日 まあそれまで 当家は正月にしておきましょう。もっとも新暦正月は 時の政治をうごかす人達にべんりなようになっている。民間にとってはほんとうに旧暦の方が季節に合って理に叶っているようです。2年ほど前の雪中に咲く椿花の写真をトップページにアップしました。こんな景色が今年見られるのかしら?前に書きかけた文も一緒にアップしておきましょう。
20050107
早くも平成17年の正月も七日。七草粥。入るものは 芹。ナズナ。ゴギョウ。はこべら。スズナ。スズシロ。昔から日本の民も貴族も食べて来た 日本古来からの野菜である。
早春の野に出でて 若草を摘み 粥にして食す。貧しくも見えるがとても豊かな感性。また 理にかなっている。早春の若菜には 冬のビタミン不足を
補い体調次の季節に向うための準備をしてくれる。「君が為春の野にいで若菜摘む 我が衣手に雪はふりつる」でしたか?アクセスページに椿の花と蝋梅を飾りました。暫くトップページの写真にしていました。竹の花入れと梅。紅白椿は暮れにお花の先生に戴きました。何年前 雪中に咲くあかいツバキがとっても素敵で 寒さを忘れさせるほどの美しさが思わず窓を開け放って暫く見入ったことがあります。家族からは『はやくしめろ』と 言われても清々しい雪中の真っ赤な花と濃緑の葉がいまも印象にのこっております。椿のことを ちょっと調べてみました。椿(つばき)ツバキ属ツバキ科「カメリアシネンシス」と学名は書いてあります。日本は世界の椿の最北限にあります。椿の木には不思議な力があり 神聖な木として また油の採れる木として 信仰の対象とされています。ツバキの語源は葉が厚いので「厚葉木」また 葉が常に艶があるので
「津葉木」と書かれたのがはじまりとか。つばきの花は寒い時期に咲く最初の花だそうです。 日本では山茶花が10月末から11月にかけて最初に咲きます。厳寒の頃はツバキの花がちらほらと咲き始め 雪景色の中の真っ赤な花は見事です。
おおつもごり
2004/12/28
12時40分49秒
おやおや もう今年も押し迫ってしまった。
ぎりぎりに 年末の御挨拶。今年もお世話になりました。たまにこのページを御覧の方誠にありがとうございます。たまには掲示板に足跡をかいていってください。
041224
クリスマスイブ お茶屋でもクリスマスはクリスマス。 FMからは終日クリスマスソングが流れている。とくにジングルベルなどがながれると 年末の忙しさを余計にあおってくれる。あげくに商店街のくじ引きが始まった。ジャラジャラジャラじゃラ…。カランカランととってつけたように たまに「大当たり〜」の大声。何とはなしにせわしい。
昨日は天皇誕生日 今日は週末の金曜 かってないほどの日付の忙しさよ。
041228
おおつもごりまで あとわずかになった。一昔前なら仕事納めに おおそうじに
忙しい日々である。明日は松飾を…。と思うが今年は 考えがまとまらぬ。例年の如く昔の名古屋風な松飾りと 思うがどうも趣向が思いつかぬ。大青竹に松と梅でも活けようか。花は水仙をすこし….。 名古屋風の松飾に興味がある方は懐石料理『志ら玉』さんのhpに正月風景が出ていますよ。いま よくみかけるのはお江戸風の松飾 三本の青竹に松と梅し根元には葉ボタン。。これは 名古屋のものでは ありません 古文書の絵図など見ると名古屋は違うんですね。 こんな事を 知っている人達も少なくなりました。
大風が吹いて
2004/10/21
18時45分51秒
台風23号がやってきて またしても甚大な被害を残して行った。なんと本土上陸の台風は今年10個目 もう結構と思うが まだまだわからんね。
遠く北の山々や富士山では、もう冬支度。八朔の事を書いてから早くもふた月たってしまった。
このふた月の間に様々なことがありました。八月には「徳川美術館」で尾張徳川家と幕末の展覧会。会津藩、「松平容守公」と桑名藩「松平?」 とのつな がりなどよく解って 興味深い催しでした。
何故ゆえ さいごまで両藩が共に戦っていたのか解りました。九月には茶会で懐石、その日も台風。茶を飲んでいるうちに台風は去って 帰路には月が出ていた。
名月の日も台風が接近して計画がおじゃんになって順延、十六夜に改めて名月の会をしました。茶はなく 酒の会です。ボチボチと雲間から昇った月に 少し見入っていたら三十分も立たないうちに雲に隠れてしまった。もっとも酒がくればどうって事はないのですね。十月には「名古屋民芸協会」の秋の研修会。柳宗悦と親交のあった「浅川伯教・巧兄弟資料館」。「白樺派」に縁の「白樺美術館」。最後に「諏訪大社 春宮」へ。
「浅川兄弟資料館」は小淵沢より清里方面に十五分ぐらいの所にある「高根町生涯教育センター」につい最近作られたそうで 一度は行ってみたいものとかねてより思ってました。昨今我が国では韓国ブームで「韓(ハン)流」とかゆうそうで 隣の国の物や人がモテモテだそうです。
まあ隣の国のことですから 仲良くしないわけにはまいりません。が 余りに浮ついたブームにしてしまうと いかがなものかと思ってしまいます。もっともお隣の国も日本人タレントのブームで追っかけも多いそうだから これから日韓両国民が成熟したお付き合いができると宜しいかと思ってます。ついでに当店でも浅川兄弟縁の韓国陶芸家「池順鐸」や「柳海剛」なども扱っているんですが なかなか「韓(ハン)流」には乗れませんね。
写真のぺ−ジに色々載せておきます。
八朔
2004/08/01
13時40分16秒
今日は八月一日 例年だったら暑くて暑くてたまらない気温が続く。今年は台風の影響で
朝から雨模様の曇り空。今回の台風は随分と北の海域で発生 日本に接近の後本州に沿って南下した。ゆっくりとした速度で四国に上陸、広島から中国地方を横断して日本海に抜けた。西進南下とゆう台風はめったに現れないそうだ。それでもここ十年の間に五個は発生しているそうです。天候のことはさて置き今日は『八朔』。現代の暦でかんがえると、八朔ってなんだろう?と考えるかもしれません。大辞典で「はっさく、八朔」をひいてみました。下のことがかいてありました。
「はっさく、八朔」
(★)陰暦八月朔日(ついたち)の称。古く農家で、新穀の贈答や豊作祈願・予祝などの行事が行われ、のち一般化して、贈答の慣習を生んだ。江戸時代には、徳川家康江戸入府の日にあたることから、諸大名・旗本は白帷子(しろかたびら)を着て登城し、祝詞を述べた。また、江戸吉原では、紋日(もんび)とされ、遊女は白小袖を着た。[季]秋。暦では旧の八月一日新暦では九月です★
★陰暦八月一日を「八朔」(はつさく) と呼ぶ。八朔は夏の終わりを意味し、秋の始まりを告げる。今の暦では盛夏となるが、本来はそういった意味あいがある。★
★ 江戸における八朔の行事はもっと重大な意見合いがあった。それとゆうのも「徳川家康」が武蔵国に入府した日なのです。秀吉の小田原「北条氏」攻めの時、家康は多大な功績があったとされ、江戸の地をさずかったのです。こんな記事がありましたので抜粋しておきます。
【八丁堀与力の年中行事】より
●八朔祝い
年中行事祝日のもっとも主なるもので、五節句よりも重大、すこぶる謹厳、武(たけだけ)ばった祝儀であった。主人は礼服着用、役所に出てお礼を申し上げることを例とする。当日の着服は、麻の紋付白帷子に麻上下であった。
●八朔祝いの感覚
ここに一種異様の感覚があった。徳川幕府時代、さらに江戸ッ子には八朔祝いが強い感覚を与えた。それは東照神君御入国、そのお祝いすなわち徳川幕府が、天下をブットッた記念日であったからだ。八朔はもちろん祝賀であるが、天下分け目の記念日で、そよそよと秋風は肌を刺す気も引き締まった季節、謹厳なひやびやとした、心を鍜(きた)えつけられた心意となり、新しい奉公の念を引き立てられた。
抑々(そもそも)幕藩時代においては、年々八月朔日は五節日よりも重い(重要な)ご祝儀日となっていて、大名旗本の面々は、白帷子、麻上下で登城し、将軍家へご祝儀を申し上げる、と言うことがご定例でありました。また、両山(上野(東叡山)、芝(増上寺))御宮においては、ご祭典をご執行された。衆士のご参拝もあり、なかなか盛んなご祝日でございました。
『さてこの行事と申しますは、天正18年(1590)8月朔日、小田原合戦、北條滅亡の後 東照神君の関東御入国をした日であります。千代田城に御入りの当日でございまして、これを関東御入国の日と一般に唱えました。関八州ことごとく徳川家の御所領と成ったのは、小田原の北條家が滅亡にいたり、天正18年(1590)7月13日、豊臣秀吉が小田原城において、東照神君にこれを進ぜられた訳です。、
★ 神君には小田原の御軍は功莫大なので、その御忠賞として関八州御領国となり、御入国あるべしと、天正18年(1590)8月朔日、駿河国府中城から武蔵国江戸城へ御わたましあり、この城は昔、太田備中守持資(もちすけ。のち資長(すけなが))入道道灌が取り立てた城郭で、希代の名城なればとて、すなわち、東照神君にはこれに御在城して、八州の政事を執り行わせた。
とまあ こんな具合です。関東では都の行事をしたくなかったようですね。
八朔行事は江戸時代よりもっと昔から行われていたようで 本来宮中の儀式だったようです。八朔の贈答が「お中元」に変ったと 他の辞典では書いてありました。新暦と旧暦ではひと月の差があるので、新暦日付で考えると意味が解らなくなりますね。九月なら新穀の報告やら豊作予祝などの行事の意味が解りますね。また日本各地に八朔祭りがあるそうで祭りは九月に行われるそうです。暦とゆうのは永い間の人と自然の調和でできているんですね。新暦で行事を行うといろいろと無理が出てくるようです。
水無月
2004/05/25
12時19分58秒
五月も終わりに近づき何か忙(せわ)しい月が終わりかけている。産地茶農家は新茶の製造も一段落次の二番茶まで製茶は一休み。早い所ではもう二番茶が出始めている。 日本列島は細くてながいのですね〜。先週末『長楽寺』の方丈さんと日進の方に『蛍狩り』に行きました昔のような 大乱舞ではなかったのですが もっとも気温が低めで走りの様子でした。それでもそこかしこにポーッツ。ポツと蛍が光を放っていました。蛍の種類はひめ蛍で小さく弱い光でした。休耕田の多くなったおかげで 農薬を撒かなくなったので 蛍が徐々に増えてきたのだそうです。農業政策のおかげかな。名古屋市内でもひめ蛍の観察ができるところは結構あるそうでこの近所だと相生山あたりが有名です。今週末二十八日には蛍の観察会と尺八を聞く会があるそうで出かけようかと思ってます。昔のような大群舞が見られるといいのですが。近所の古老にきくところによると 昔 今の『平子』あたりは(今の「新瑞橋」の東南)名古屋市内でも有名な『蛍狩り』の名所だったそうで昭和のはじめまで夏の風物だったそうです。その頃の蛍の種類は『平家蛍』だそうだが田んぼや小川が開発により失われると次第に消滅して行ったそうです。そんなことを知っている人達も随分とすくなくなりました。古老といっては失礼なのですがお客様でこの地生まれの人と昔話をしました。近所の寺の裏山でターザンごっこをやった話や野壷に落ちて『曽池』で体を洗ったこと『天白川』や『野並』あたりまで遠征して遊んでいた話です。ここらあたりもチョット昔(五十年ほど前)までは随分と自然が豊かだったんですね。いまでも近所の『長楽寺』は自然が豊かです。おかげで『野点』をやっていても奇異な感じがしません。自然が御馳走なんですね。自然のおかげで体と気がいやされます。茶は癒しの原点なんですが今は「なんに効く….?」とゆうのがあたりまえになってしまった。最近 メールで『お宅のページには茶の効能がかいてないのね〜。』などと云われたのでトップページに「あるある大辞典」のアドレスを載せました。『どうしても知りたい!!』って人は アドレスをコピーしてアクセスし『お茶』で検索してみてください。イッパイ出てきますよ。茶の効能を気にするより茶を飲む習慣と癒しの心を自分で演出して精神の高揚を図ってくださるとお茶屋冥利につきます。六月は桶狭間の合戦があった。信長は桶狭間に向う時 何処を通っていったのか?いつも思うのですが歴史のロマンは想像することでたいていイメージがつくようです。古地図があればもっとよろしい.これも古老の話ですが『どうも熱田で祈願の後鎌倉古道の間道を今川の斥候に判らないように小人数づつで桶狭間にむかったようだ』と こんな土地が我が地です。ますます興味がつきません。季節ごとの祭りを参考に昔話を掘り返してみるとしましょうか。
皐月〔五月〕
2004/05/01
12時57分12秒
五月に入り日本中がゴールデンウィ―クに入りました 当店は四月中から『新茶体制』にはいりました。
野点の会に御参会された方々には感謝申し上げます。
今年の春はあっとゆう間に過ぎて早くも初夏の頃
四月はじめから天気が良すぎて 『この分では茶はーはやいぞー』なんて思ってたら20日過ぎたあたりで
寒波…。静岡でも山のあたりはすごく冷え込んだそうだ。当方も早くから準備をしたんだが 肝心の茶がなかなかできない。『やっぱし気候はあてにならんけんねー』と思いつつも天気が恨めしい。さてこんなことばかりも いってはいられぬ。今日は八十八夜
閏年だから(例年は2日)なんといっても新茶のシーズン 茶が一番関心のもたれる時 今日も上天気だから 産地の茶畑では茶摘が行われている事だろう。きっと明日にはきちんと揉まれてこちらに来るでしょう。四月は自分で作った予定ながら結構イベントが多くて(もっとも押しかけたものもあるんですが)忙(せわ)しい月でした。二十九日は『戸部供養祭』があって1年がもう過ぎたか…。と思いました。この供養祭は 今は昔戦国の頃 この地を治める地方豪族『戸部氏』の菩提をともらう祭事です。そのころこの地は『今川氏』『織田氏』の境として重要な場所でした。『戸部氏』は小豪族でしたので どちらかに ついていなければなりませんでした。そんな悲哀を込めた小豪族の供養祭でした。〔詳しく書くとたいへんです〕結局は今川義元に滅ぼされてしまうんですが
その頃の当主『戸部新左衛門』の遺族は全国にちらっばっておりその遺族達が年に1度この地に集まってくるのです。そんな悲哀に満ちた供養債でした。『新左衛門』の『菩提寺』は『長楽寺』です。本堂右の脇に『新左衛門』の坐像と『御位牌』が安置されてます。供養祭の写真はまたアップします。 戦国の話もここらあたりには いっぱいあります。やはり尾張はむかしから交通の要衝だったのですね。詳しくお知りになりたい方は 当方まで メール下さい.待ってます。
もう四月なんですね。
2004/04/02
16時18分39秒
おやおや すっかりページを更新するのを忘れてる
と お思いでしょうが じつは大変だったのです
三月の『ひな祭り』を書こうとしていたんだが少し『パソコン』トラブルがあって『写真』が すべてパーに…。やる気がなくなって ひと月半も二月のままでした。スンマセン。新年度に入って 心を引き締め こうして 書いてます。『夜寒の郷便り』のトップも『桜』咲きました。近所の桜の名所『呼続公園』の桜です。今朝まだ雨が残っているうちに撮ったのです。3分咲きの桜は雨に濡れてしぼんでましたが今あたりが最高にきれいですね。昨夜この公園で花見の宴会をやってました。静かな街もこの時節は少し賑やかになります。画像ページには『富部神社』と『戸部蛙』『貝雛』の写真をUPしました。『貝雛』は故井村先生の遺作となった作品です。旧暦の三月三日は四月二十一日だからマダマダお雛さんは飾っておけますね。今月十日、十一日、と 『長楽寺』で釜を懸けるんですが天気が良ければ秋みたいに『野点』です。毛氈を敷き端折の朱傘を立ててゆっくりと茶をたのしみたいです。掲示板のお知らせにも書きましたが『うぐいすの谷渡り』がきこえてくるといいのですが?もちろん このページを御覧の皆様 歓迎いたしますよ。
この茶会が済むと暫くは本業が忙しくなる予定ですが今年はいかなる茶が出来てくるのやら。一年の茶を決める大事な季節です。